■2004年7月21日 催眠療法・第1回目■


「かたくなで 手を抜かない性格、他人にも自分にも厳しすぎる性格を 考え直したい」
「とにかく疲労感がものすごくて、とても苦しい」
という2つの問題をメインに、相談しました。(Q:セラピストによる指示・誘導・・・・・簡単な文章に省略)



セッション開始

Q きもちよい野原へと誘導。
  
一生懸命に想像するのでなく、「なんとなくそんな気分になればOK」という事なので
だんだん気楽になってきました。
こんなかんじに かんたんな質問しか出ないので、
セラピストによる言葉の「すりこみ」とか、「誘導尋問」が無いようで、ホッとしました。
あくまで、被験者である私自身が、つねにメインの状態てかんじ。

Q 子どもの頃の楽しかった場面を見てみましょう…

見えるかなあ…?と、かなりビビっていたのですが、
なんだか、「ぽわーん」と胸に昔のことが思い浮かんできました。

私が小学校1〜2年のときに、家族みんなで父の車に乗って、
海に遊びにゆくところが 思い出されました。
私は、車の中で読みなさいと父の買ってくれた 絵本をすごく一生懸命に読んでいて、
(本を買ってもらえて、うれしいなあ)
(もうすぐ、お母さんのつくったお弁当 食べられる〜!はやく食べたいなあ)
(ジュースもいっぱい買ってあるし、楽しみだな〜) 
 ※当時はコンビニがなかったので、車で旅行の時は飲み物を大量に買い込んで出かけました
(海は、おおきいから良いなー)
(海にいる間は、学校のプールに行かないでよいからすっごい嬉しいな〜)
 ※私は泳げないので、夏休み中の学校のプール授業が もうれつにダイキライでした

……など 
海での日々での 期待にいっぱいになっている自分の姿と、自分の感情が、
ものすごくハッキリと よみがえってきました。

これまでは 自分の中では「小さい頃に海に行った」ことは覚えていたけど
重要な思い出だとは考えてなかったので、
こんな場面がふうっと浮かび上がってきたので
(これが私のいちばん幸せだった思い出なのか?)と、驚きつつも、

(小さいころはこんなにも、不安も苦しみもゼロで、
 ただひたすら「明日が楽しみ」って、楽しみだけでいっぱいだった!
 こんな時が私には あったんだ…!
 なんて幸福だったんだろう、なんてすてきな感情を持っていたんだろう…)

と、当時の『幸福感』がすごい盛り上がって、すごい感動があって、
しょっぱなから涙があふれてきました。

Q 性格をかたくなにした きっかけになる場面へ

えーそんな、きっかけなんて…?そんなのあったっけ…… とビビっていたら、
ふと、「小学校の時の、水着とかバスタオルをいれる 赤色のプール用巾着袋」が思い浮かびました。
それをキッカケに、次のような場面がするすると思い出されました。

私は小学3年生くらいで、
これから 夏休みのプールの授業を受けにゆくところです。
でも、私は泳げないからプール授業がダイキライ。
どうしても行きたくない、さぼりたい逃げ出したい… と思いつつも、
自宅から小学校まで徒歩3分という、絶妙の距離だったので
逃げ出すこともできず、学校にむかっています。

ところが、実際プールにつくと、仲良しの幼なじみのS子ちゃんがいて、ほかにも友達がいて、
泳げなくても、私はとても楽しくなりました。
授業のあとに、「市民プールに遊びにいこう」とS子ちゃんと約束しました。
S子ちゃんと、夏休みにいっぱい遊ぶぞー!…という、「幸福な期待」が、胸にものすごくあふれて、
今の私の目から、また涙がいっぱいあふれてきました。

――そこで場面が変わって、
市民プールでタップリ遊んで、帰宅した私が、
S子ちゃんから「銀河鉄道999」のコミックスを 貸してもらって
わくわくして読んでいるシーン が出てきました。

(プール行って良かったな〜
 厭なことでも、やってみれば、楽しいことがあるなー)
…と思って、思い出は終わりました。

この時に、催眠療法って、すごくおもしろい!と思いました。
今の思い出は、厳密にいうと、セラピストさんの質問とは、ちょっとそれた思い出だとおもいます。
「かたくなになるキッカケ」ってほどの思い出ではないな〜と。

でも自分にとって、この思い出にふれることができて、すごい嬉しかったので、
なんというか…… 「自分が自分に必要な思い出を、
セラピストさんの意志・誘導とは関係なしに、きちんと自分で見つけている」という感触が得られました。
(あ、これは、怖くないや)と、一気に安心しました。

次に、おなじ質問を、もういちどされました。
Q 性格を かたくなにしたきっかけになる場面へ

何が見えるのかなー、そんなにポンポン見えるかー?と心配しましたが、
また、あっさりと思い出がよみがえって、浮かび上がってきました。

私は中学3年生で、塾にはいったところです。
入塾テストの成績があまり良くなかったので、Bクラスでした。
おなじ塾の成績上位者のAクラスに親友・Mちゃんがいるので、
(Bクラスになっちゃって、つまらないなー)と思ってます。

私は、自分で言うのもなんですが、覚えるコツがいいので成績が悪くはないのに
とにかく勉強することがキライなので、
せっかく塾にはいっても、ぜんぜん勉強していません、
ちょっと勉強すれば、それなりの成績をのこせた筈なのに、
勉強しなくても中くらいだから、いいじゃーん! と思って、
遊びまくって、ひじょーに なぁなぁに生きてます。
やればできるのに、すごく、もったいない……

ちょっと場面がかわって、
私が高校に合格した所が 出てきました。

すごく行きたい高校に合格したので、当時の私はすっごく喜んでます。
親友・Mちゃんも、埼玉県でたいへん有名な、頭いい子ちゃんの高校に合格しました。 
私は、
(行きたい高校に合格したから 後悔はないけど、
 でも、もしも、ちゃんと勉強をしていたら、もっと良い高校に合格したかもしれない、
 きちんと努力していたら、選択肢の幅がひろがったのかもしれないのに、
 今回は、努力をしなかったなあ……)
と思っています。

ここで、入学前に新しい高校の制服を試着して、
わくわくしている自分が浮かんできました。
(自分はブスでメガネでDEBUだから、制服が似合わないなぁー)
なんて考えてたりしてるので、
今の私は、当時の自分を すっごく可愛く思ってしまいました。
そんなこと気にしてたんだなぁ…(^^)

まだ続きがあって、
『高校時代に、文化祭でミスった場面』があらわれました。

高校時代の仲良し・何名かと、文化祭に漫才をやろう!という計画だったのに、
私のワガママで ドタキャンになった思い出です。
(私のワガママのせいで、ごめんなさい・ごめんなさい…)
と思ってるところに、仲良しの子が、手紙をくれました。
手紙には、
『私は漫才をするの楽しみだったから、
 あなたが漫才が厭だという気持ちがわからない。
 漫才やれなくって残念だけど、でも、もう終わったことだし、
 もう 気にしないで。また、いつもどおり楽しくやろう』
…そういうことが手紙に書いてあって、
私は すっごく嬉しくて、
「これから、自分が成功しても・失敗しても
 とにかく自分の気持ちを、相手にはっきり言おう。
 相手に対して、ぜったいに誠実でいよう
 自分の気持ちを、言葉で伝えよう」
そんなことを 思ってます。

Q まだ重要な場面があったら、見てみて下さい

そう質問されても もう何も浮かばず、
「もう ありません。 
このあと私はとても楽しい高校生活を送って、
行きたい大学にいって、とても楽しくすごしました」
……と、するすると言葉で答えていました。
頭で考える前に、言葉が出てきます。
こうも断言できるのが、なんだか自分で不思議でした。
でも、そう思っていました。

それから、この場では ハッキリ書きませんが、
これまで私は文化祭をドタキャンしたことを「ごめん」しか思ってなかったけど、
こうやって思い返してみると、
(ドタキャンしても しょうがなかったなあ)という事情が思い出されたので、
自分ただひとりが悪かったのではない、仕方がなかったことだ、
もう、このことを気にしないで良いんだ〜!
そう思えて、すごく、スッキリしました。
このことは、けっこう長いこと私の鬱屈だったので、ほんとにスッキリしました。

こういうふうに「自分で気付くことができる」のが面白いです。
セラピストさんの指示や誘導は、記憶をひっぱりだす「キッカケ」で、
あとは、ぜんぶ自分の内側から目覚めて掘り出されて気がつくことなのが、すごく気持ちよい。

Q では最後に もういちど、子ども時代の楽しかった場面へ

…と言われたのですが、
質問に反して、あんまり楽しくない思い出が ふうっと出てきました。

私は小学3年生で、
お兄ちゃんが小学校を卒業した日のことが、出てきました。

兄の卒業記念のプレゼントに、ファミコンゲーム機が用意されていて、
母はごちそうを作りました。
家族で、「お兄ちゃんが帰ってきたら、プレゼントを渡して、卒業おめでとうって言おうね」
と、みんな わくわくしています。

ところが、お兄ちゃんは卒業式のあと、友達とどっかに遊びにいっちゃって、
遅い時間まで帰ってきませんでした。
家族は、待ちくたびれて…というか、待つのに飽きて、
お兄ちゃんが帰ってきても、特別な日という雰囲気は薄くなっちゃっていて、
ごく普通にご飯をたべました。

私は 
(せっかくすてきな日だったのに、あれ〜? なんで、つまらなくなっちゃったのかな?)
と、不思議に思いつつ、ごはんを食べてます。

ここで 場面が変わって、
それから少したった後のイメージが浮かび上がってきました。

兄の卒業プレゼントだったゲーム機は、
あまり面白くなかったみたいで、兄弟みんなすぐ飽きちゃって、
ぜんぜん使われない無用の長物と化してます。
けっこう高価な買い物だったので、両親は、ちょっと悲しそう……
それで私は、
(ものを欲しがる時には、
 ほんとうに必要なものをきちんと考えて、それからお願いしなければならない、
 そして、プレゼントをもらったら、喜ぶべきだ、
 そしたら贈ってくれた人も、とても喜んでくれる…)
と、自分のことのように、すごーく、責任感を いだいています。

こんなこと考えてたなんて、自分であまり自覚なかった…おぼえてなかったから
すごいビックリしましたが、
これはたしかに、子どものころの私の感情でした。
忘れていたけど、思いだしました、私はたしかに、そう感じて、こう考えていました。
なつかしい思い出のイメージに触れながら、
(そうそう、こんなことあったなあ) と、とても納得しました。

Q 「自分のことのように責任感をかんじてる」
 という責任感を同じようにかんじた場面へ

言われたとたんに、
秘書時代に 私をいじめた 大っ嫌いな先輩秘書の「Tさん」が、むくむくむくっと出てきました。
彼女のパーマのかかったウエーブ髪のイメージから、彼女のスーツの色まで、超・明確に。

Tさんが、私をムッチャクチャに怒ってます。

「食べ物に好き嫌いがあるのは、親のしつけがわるい。
 Kさんが好き嫌いがあるのはおかしいし、あなたの親もおかしい」

というようなことを、何回もくりかえしネチネチ言われて、
私はものすごく悔しくって、ハラが立って、ほんとうに悔しい気持ちで いっぱいです。
でも自分はこの当時、魚介類がキライで、すききらいが多いのは本当でしたから、言い返せません。
それにしたって、なんで親のことまであんたに批判されなきゃならんのか、と
ものすごく悔しくて悔しくて、
この時にジッと黙って我慢している当時の自分がすごく可哀相で
今の自分から涙がいっぱい出てきました。

Q あなたはその時 Tさんにどうしましたか?

怖いから、黙って我慢しています。
でも、そのあとソッコーで便所にかけこんで、悔し涙をひっそりかみころしている自分が出てきました。
この自分があんまりにも可哀相で可哀相で、今の私も涙が止まりません。

Q 今だったら、どうしたいですか。
 あなたのやりたいように、好きなように・・・・

Tさんが大嫌いだし怖いから、どんな仕返しをうけるか恐ろしいから、
とにかく一言も口を聞きたくない、なにもしたくありません。
一刻もはやく、この人の前から立ち去りたい。
この人が、すごく怖いです。
一生会いたくないと思っています。

Q Tさんが何を考えているのか、 今のあなたなら、わかりますよ

そう言われると、たしかに「Tさんっぽい気持ち」が、自分の中にふうっと浮かんできました。
Tさんは、
 仕事をホサれて、すごくイライラしている。
 仕事をあたえられて ボスにかわいがられているKをいじめてやろうと思っている。
 もうひとり別の秘書がいるが、その子はボスの血縁者だからいじめない。
 Kは、自分(Tさん)に反抗しなくて、いじめやすいから、いじめてやれ!
と思っている…

そんな彼女の感情が ものすごくリアルに 私の中に浮かび上がってきて、
「なんというヒドイひとだオイ!
 やつあたりじゃなくて 打算的に計算して、私をいじめていたのかよ!?」
と、もう悔しくて悔しくて、泣くことを止められません。

Q Tさんへ、言いたい事を言ってみる

「 怒りの気持ちはわかるけど、食べれないのは私が悪いんですから、
親の事は責めないで。」

Q その思い出から離れて、ゆったりした気持ちになれる場所へ


というふうに誘導されて、
心におちつきを取り戻してから、
「第1回目のセッション」 が 終了しました。



=感想=

催眠療法、うまくいくのかな〜? と けっこう心配だったのですが、
思い出すというか、よみがえるというか… たくさん見えました。
ぜんぶ私の記憶から生まれてるので、すごくリアルで、とにかく びっくりしました!!

「思い出が浮かび上がる」と言っても、映画を見てるように映像として浮かぶのではなく、
夢を見ている状態ともちがいます
「思い出す」というのがいちばんぴったりくる感じ。
心の中に、ぼんやりした思い出の映像イメージが浮かんでくるかんじ。
でも、よみがえった感情は、ものすごくあざやかで、ハッキリしてました。
見えたり感じるものの中心は「その時々の自分の“感情”」で、
あとは、付随するように、映像がぼんやり見えたり、たまにハッキリ見えたり。

自分の感覚では、「催眠状態」は、
「お風呂にゆったり入って、眠りにつく前の、心身ともにほっこりリラックスした状態」に、似ています。
眠っていないので セラピストの声も、外を走ってる自動車の音も聞こえるし、
自分も ふつうにしゃべれます。
テレビなどで「手をぱちりと鳴らしたら、あなたは今のことを覚えていません」という誘導の催眠をよく見ますが、
ああゆうふうに自分の心を勝手に他人にコントロールされるのは絶対厭だな!と思っていたので、
この催眠療法の場合はきちんと自分の意識があって、
自分がメインでいられることが、すごく良いと思います。

実は、「変な薬をのまされたり、あやしげな音楽とかかかってたら どーしよー?」と、かなりビビッてたのですが、
そういうことは 全くなかったので、すごく安心。
パンフレットやHPに書いてあった「超能力・宗教ではなく、テクニック」という言葉が、
すごく納得できました。

セラピストさんからの質問が、本当に「簡単な質問だけ」なのも安心しました。
誘導尋問とか、へんな記憶のすり込みとかもされないので
個人的な好みとして「すべて自分が主導権を握って、自分で考えられる」のが、
すごく良かったです。

幸せで楽しかった思い出の感情が胸によみがえる…という体験が
ものすごく気持ちよかったです。
いつもは「過ぎたことは思い出さない」とか考えてますが、
すごく幸せだった時の気持ちってゆうのは大事なんだなー自分の力になるんだなーと思いました。

あとは、自分はこどものときから本とかマンガが大好きだったんだなーと、納得。

それと、自分はちいさいころ、「欲しいもの何?」って聞かれると、
サンリオの可愛いノートとか 筆記用具とか 本とか、
必ず使う実用品ばっかり「ほしい」とお願いしていました。
自分では忘れちゃってたけど、ちゃんと理由があったんだなーと思いました。

セラピストさんによると、私の傾向として
「いつも肯定的な意味を示してイメージが終わる」のが特徴だそうです。

――さいごに出てきた「Tさんとの確執」が、かなり強い印象なので、
次回は その辺をメインにやってみましょう。
ということになって、 第1回目は終了でした。

(1回目おわり)






■2004年 8月27日 催眠療法・第2回目 ■


秘書時代の先輩「Tさん」との確執や、私の中の恐怖感を、改善したり解消しようーと、
2回目のセッションを はじめました。
このセッションは、生涯忘れることのできないような感動がありました
( Q:セラピストの指示・誘導・・・・・簡単な文章に省略 )



セッション開始

Q きもちよい野原にいるイメージをしてください
 その先に、下り階段があります……
 私が数をかぞえますから、1段ずつ、ゆっくり降りてゆきましょう

どういうことを想像してもよいので、
まえの職場で大好きだった場所を…
国会議事堂の正面、白い大理石に紅いジュウタンのひかれた、きれーいな階段を想像しました。
 
Q Tさんとの問題に関係した場面へと誘導
  では、階段をおりる想像をしてください…… 1段、2段、3段…… 
  

階段をおりるまでは絶好調だったのですが、
そこからは、「吹雪みたいにまっ白な世界」になってしまって、なにも見えなくなってしまいました。
第1回目みたいに、するするとイメージが出るだろーと、めっちゃ油断していたので、
あれあれあれ?? と、戸惑ってしまいました。
しかし、なにも出てこないような時もあるらしいので、
(そーいや、昨夜はすげえ酒をのんでしまったし、今日は駄目かいなー)と ネガティブな考え方がフル回転。

目を凝らす…というか、心をおちつかせて なにか思いつくかなー? とさぐると、
ふと、白い服の修道士さんの集団が見えた…… ような気がしますが、
ああ、もう見えなくなっちゃいました。
なんにも見えません……が、
また、ふっと… 大航海時代のスペインだかオランダっぽい修道士さんの姿みたいのが見えました、
が、すぐに見えなくなってしまいました。

ほんとに不思議なのは、セラピストさんからは「なにが見えますか」という誘導しかされていなくて、
キリスト教の話など全然していないし、それっぽい暗示も、全く与えられていません。
そして自分もキリスト教に全然興味ないし、そういう話題やテレビに最近ふれたわけでもない。
それなのに、キリスト教系っぽい修道士の姿が なぜだか浮かんだのです。
なんで、こんなのが見えるのだろう…と、すごく不思議に思いました。

それにしても、全然イメージが見えてこなくて、とにかく、砂嵐みたいにまっ白です。
見えない、というのではなく、「まっ白」なのが見える、という感じ……

Q ゆっくり、自分をイメージして、足元を見てみてください。なにが見えますか?

足元は……見えた! 
真っ白い、大理石みたいなきれいなタイルの床が見えます。

Q あなたは、どんな恰好をしていますか?

なんか……白くてヒラヒラしたのを着てるっぽいような……??
私は、修道女なの、か…な??
……ああ、また、なんにも見えなくなりました。ぜんぜん見えません。

Q あなたが寝たりおきたりする部屋をイメージして・・・・・・・

いつもの私の埼玉の自宅のマイルームをここで想像したのですが、
急に、ふっと映像のイメージが わきました。

真っ白い壁の部屋で、茶色いベッドとタンスしかない部屋です。
映画「天使にラブソングを」で修道女の部屋が出てきましたが、あれによく似た感じです。
でも、映画では壁がピンクだったけど、
今こうして見える風景は、壁がまっ白で、家具はもっと重厚で 古い時代の感じ……

白い壁には、木彫りの十字架がひとつ、かかっています。
やっぱり、ここは修道院みたいです。

Q そこにいる あなたは、どんな人ですか?

なんだろう… なんだか、やっぱり修道女みたい……
私はやっぱり修道女みたいです……女の子みたい

Q あなたは、何歳くらい?

14才くらい……なんだろう、映像は見えないけど、感情が沸き上がってきました。
[修道女の私]は、なんだか、ここの生活があんまり好きじゃないみたい…?
 (と、急に、ものすごく、その女の子の感情が、私の中にあふれてきました)
やっぱりそうです、
[修道女の私]は、ここの生活がすごく厭で、すごく寂しい、と思っているみたい、
「寂しい、寂しい!」という感情が、いっぱい出てきます。
(このへんから、どんどん思い出しつづけて、感情がとまらなくなり、涙ぼーぼー)
すごく寂しい、お父さんとお母さんに会いたい! お父さんとお母さんにすごくすごく会いたい!

…悲しみの感情がものすごくって、今の私は泣いてしまいました。
お父さんとお母さんが恋しくて、たまらない気持ちで、いっぱいです。

Q あなたは、どうして、そこにいるのでしょうか?

はじめっからいたのでは、ないみたい……

(ここで、ふっと、ちがう場面に変わりました)
小さい…5〜6才の女の子の[昔の私]が見えます。
ふわふわの髪は銀髪で、とてもきれいなリボンをつけて、きれいなドレスを着て、にこにこ笑ってます。
[昔の私]は、お父さんと一緒に 遊んでます。
お父さんは…大航海時代の オランダの商人で、とてもお金持ちです。
お父さんは 私をとてもかわいがってくれています。
お母さんも一緒にいます、きれいで優しいお母さんです、
帽子の先が二股にとがっているのを被って、ドレスをきてます。
親子三人で、大きなお城のお庭の……公園みたいな、とっても綺麗なところで 遊んでいます。
[昔の私]は、とてもとても幸せです……

また、場面がかわりました。
[昔の私]は、8〜10才くらいみたいで、
おじさんのあやつる馬に、ふたりで一緒にのっています。
むこうのほうに、けわしい山の上に建つ、すごく大きなお城みたいな、真っ白い建物があります。
あれが修道院です。
わたしは、連れて行かれているのかな?
でも、無理矢理では、ありません。
誘拐とかでも、ありません。
なんだろう? なんで修道院に向かっているのだろう?? わかりません。 

Q そのおじさんは、どんなひとですか? あなたのお父さんとお母さんは、どこにいますか?

中年のおじさんで、血縁者ではない……
なぜだか、このおじさんは、アラブの人のように、おひげを生やして、
真っ白いベールみたいなのを纏っています、アラビアのロレンスみたいな恰好をしてます。
でも、ここはアラブではないです。
オランダかスペインっぽい……。

[昔の私]は なんだろう…あきらめている、というか、何にも考えていないというか……
とにかく、「仕方がない」・「さみしい」って思っているみたい。
お父さんとお母さんは、いません。なんでだろう?
――ああ、わかった! なぜお父さんとお母さんがいないのか、この子もわかっていないんだと思います、
だから 今の私も、わからない…

Q そこでの生活は、どんなふうですか?

また映像が、かわりました。
赤いレンガの廊下を、灰色っぽい服の修道女が、たくさん歩いているのが見えます…
修道院では、口をきいたり、音をたててはいけないみたい。

私は、音もたてない修道女たちを 「バカみたい」 と思っています。
「意味の無いことだ」 と……

[修道女の私]は、ここの生活がキライみたい。
聖書の教えを「くだらない。つまらない。意味がない」と思っています。
でも、そんなこと考えているのを「バレたらヤバイ!」と、びくびくして、
自分の気持ちがばれてしまうんじゃないかなあと、怖がっています。

そして[修道女の私]は、すごく寂しい、寂しい、ふるさとに帰りたい!と思っています。

ここで、ふるさとのイメージが 物凄くくっきり思い浮かびました。
藍色の運河のそばに、古いお城やりっぱな大きな石造りの家・塔がならんで、
みどりがこんもりとたくさん繁っている、
ものすごく綺麗な、ふるい時代のヨーロッパの都会… すごくすごく綺麗です。

ここで 素の現在の私は「うほっ!なんて、すごく綺麗な景色…!」と驚いたのですが、
そんな気持ちよりも、[修道女の私]の感情が、ものすごくわき上がってきました。

[修道女の私]のふるさとは、美しいお城と、みどりの並ぶ、
川沿いの、とてもとても綺麗な街でした。
[修道女の私]は、ふるさとがすごく好きです。
悲しい。とても、帰りたいです。
修道院が、厭でたまらないです、悲しいです。
こんなところは ダイキライ!
ここは ご飯もおいしくないし!
ふるさとに 帰りたい、帰りたい!!

(ここで、ふっと思い出すような感じがあって、お父さんのことがわかりました)
帰りたいけど、でも、帰れない。
[修道女の私]のお父さんは、貿易のお仕事で、なにかずるいことをしてしまって、
逮捕されてしまいました。
それからお父さんとお母さんがどうなったのかわからないけど
小さい私はひとりぼっちになってしまって、
優しい召使いが、「都にいたらこの子はいじめられる」と
とても心配して、とてもあったかい心で、私を修道院につれてきてくれたのです。
それがさっきのアラビアン風のおじさんです。

でも、[修道女の私]は、神さまが大嫌いです。
大好きなお父さんが逮捕されてしまったことで、神さまを逆恨みしています。
「神さまは、平等ではない」と思っています。
神さまを、すごくうらんでいます。
だから、すごくすごく、修道院の生活が厭です。
でも、「こんな気持ちがバレたらどうしよう」と、
すごくビクビクして おびえています。
恐怖でいっぱいです。

(ここで、Tさんが登場しました。Tさんは、修道院の院長みたいです)

Tさんは…院長みたいです。
私のことを 「小娘…」と思ってて、あんまり良い感情を持っていないみたいですが、
あれ〜? 意外と、ふつうの人みたい……
べつに、私のことを いじめたりしてません。
厳しいけど、べつだん いじめられたりしてません、うん、普通っぽい……

でも[修道女の私]にとって、この院長は、大嫌いな「キリスト教と聖書」のシンボルみたいな存在で、
自分の不信心な心を見透かされたら怖いから、目もあわせたくない、
話をしたくない、
聖書についての問答をされるなんて、もってのほか!
できる限り、一緒にいたくない、そばにいたくない、と思っています。
「キライ」なのではなくて、
[修道女の私]にとって、自分の悪い心がばれてしまうんじゃないかという、ものすごい恐怖の対象です。

あー。わかった… Tさんは、私の人生にべつに何の影響にもならない 小さな存在です。
今の人生で、こんな人のこと、全然気にしなくっていい……
私には、もっと大事なことがたくさんある、そんな気がします。
Tさんとの関係は、もう、いいです。なにも気にならなくなりました。

Q すこし時間を進めていって、その人生で重要なことがあったら、拾いながら見ていってください。

男の子の笑顔が見えます。
白い百合のいっぱい咲いているところに、ハンサムな若い男の子がいます。
赤いベレー帽をかぶって、緑のベルベットの短衣で、白いタイツ姿……
ロミオとジュリエットの、ロミオみたいな恰好です。
髪は金髪でふんわりしていて、とっても綺麗な、やさしそうな男の子……が、
にこにこして 私を見ています……けど、
にこにこしているだけ…… 何だろ、この子は誰なんだろう??

場面が変わって、18才くらいの[修道女の私]が、
修道院の上の階の窓辺から、遠くをみているシーンが浮かびました。
わかった! 男の子のイメージは、[修道女の私]が思い出しているイメージです。
赤いベレー帽の男の子は、この子の恋人とか婚約者ではなくって、
幼なじみの男の子らしいです。
おしゃべりの上手な、とても楽しい性格の男の子で、
[修道女の私]は、この男の子を大好きみたい、すごくすごく なつかしい相手みたい…。

また 場面が変わって、もうちょっと時間がたったみたい……
[修道女の私]の悩む気持ちが、すごく、胸にあふれてきました。
[修道女の私]は、キリスト教も、ここでの生活もダイキライですが、
『とりもどせない昔の生活は、もう忘れないといけない。
 聖書に書いてある正しい教えを、信じたい』
とも思っています。
それでも、やっぱり、お父さんが大好きだったので、
神様を許せなくて、神の教えを信じられません。
「信じられない」、
でも「信じたい」というせめぎあいと、
「信じていないことがバレたらどうしよう」 という恐怖とで、
信仰することについて、物凄いすさまじい葛藤があります。
すごく苦しんでいます。

また場面がかわって……
あれ? なんか、「手紙」と思って?
高い所から……おちたような感覚があります……あれ? 
おっこちちゃった? 
なんだか[修道女の私]は、死んじゃったみたいですよ……?
でも、自殺じゃない、 事故で死んじゃったみたい。

Q 死の場面を、詳しく見てください。

[修道女の私]は、27才です。
すごく寂しくて悲しくて、修道院の上の階の窓から、はるかな山並みを見つめています。
山のむこうにふるさとがあるから、
とてもなつかしくて、さみしくて、
[修道女の私] は、いつも、いっつも、この窓から外の景色を見ていたんです。

この修道院は、とても高い山の上に建っているので、
はるか遠くの景色まで、よく見えるのですが、
むこうのほうから、馬車がやってくるのがそのとき見えたので、
[修道女の私]は、「自分宛の手紙が来た!」と思いこんで、
不注意に、窓から大きく身をのりだして……すべって、落ちちゃった、
あ!落ちた!

ここで落下した時の自分が見た光景と、その恐怖が、ものすごくはっきりとあらわれました。

ものすごく高いところから、草や花がちょこちょこはえているざらざらの岩肌を、
まっさかさまに、すごいスピードで落下しています!
「あ、おちた! すごく高い怖い恐ろしい!」
って、ものすごい恐怖感があって……
あ、真っ暗になった、ブツッと切れた!
死んじゃった!
私は、死んでしまいました! 死んでしまいました!

死んでしまってから、
「ずっと寂しい、悲しいって思ってばっかりで、
 こんなにつまらないことで 死んでしまって、
 私の人生って、いったい、なんだったんだろう?」 と思っています。
すごく むなしいです……!
死んでしまいました!!

このへんは、死への恐怖とか、むなしさがものすごくて、かなり取り乱して、泣きつづけでした。
こんなにあっさりとむなしく死んでしまって、ほんとに、悲しかったし、すごく、むなしかった。
ものすごく後悔したんだろうなーとか、思いました……

Q その体から離れて… そのイメージから離れて、
 意識だけの状態で、ずっと空の上のほうに、安らげる所へ・・・・・・・・

はー……。雲の上みたいなところで、ぼーっとしています、ここは気持ちがよいです……
お父さんとお母さんが、むかえに来てくれました。
「おまえを手離してごめんね、しかたなかったんだよ」と言ってるみたい。
3人とも、おだやかに嬉しいです……
死んじゃったけど、今はとても 安らかです。

Q その人生を、ゆっくり、ふりかえって・・・・・・・

落ちて死んじゃったのは、残念だけど、
でも、しようのないことだったみたいです。
落下した時の[修道女の私]は、信仰の葛藤とか恐怖で ノイローゼになっていて、
正常な判断能力とか、注意力が、全然ない状態でした。
だから 落ちて死んじゃったんです、もう、仕方のないことです。

……赤いベレー帽の男の子が、[修道女の私]が死んでしまったことを、
とても悲しんでいます。
死後の[修道女の私]は、
(こんな自分の死を悲しんでくれる人がいたことが、すごく嬉しい…)と思って、
彼に、とても感謝しています。
彼の悲しみのおかげで、癒されています……
彼に「ありがとう」と思っています。
でも、この男の子しか、悲しんでくれるひとがいなかったなんて、
すごく すごく寂しいことです……

Q この人生とは、どんなものだったか、探っていきましょう

『取り戻せないものは、あきらめないとならないのに、できなかった。
 努力すべきだったのに、できなかった』
そんな人生です。

ここで、「もし、あの時に落下しなかったら、その後の人生はこうなっていた」
というイメージが、くっきりと浮かんできました。

[修道女の私]の私は27才で死んでしまったけど、
でも、どうもですねえ「あと3年」がまんすれば、明るい心に変われたみたいですよ……?
どうやら、あと3年たったら、修道院にある大きな図書館に…
はいる資格を得られるのか、なにかテストに合格するだかで、
とにかく3年後には、修道院の図書館に入って、たっくさんの本にかこまれる
すばらしい生活が待っていたみたいですよ。
そして、[修道女の私]は、図書館でものすごくたくさん勉強して、
キリスト教も信じるようになって、敬虔な修道女になって、知識もものすごく増えて、
どうやら40才くらいには、修道院の中でけっこう高い地位につく……
そんな運命が、待っていたらしい、です。

40才の[修道女の私]のイメージが、とてもハッキリと見えます。
真っ白い戸棚のならぶ、とても天井の高い巨大な図書館にいて、
すごくニコニコして 幸せそうです。
生きていれば、ああなれたのに… 
でも[修道女の私]は病気のせいで注意力を失くして、死んでしまいました……
仕方ないけど、すごく悔しいです……、
なんで死んでしまったんだろう!
あーあ… とっても、残念です……

Q では、この人生で学んだことは?

(この質問をされたとたん、なにかがのりうつったみたいに、 朗々と、はっきりと自分の言葉が出てきました)
『(あきらめるべきことは)あきらめること』
『努力すること』
『信じること』
です。

『信じること』というのは、「神様の教え」という意味では無くって、

『自分は頑張れるのだと、信じること』
『将来には希望があると、信じること』
『読書にはよろこびがあること』
『この世には、いいことが沢山あると、信じること』

この4つを、信じることです。

私、こんなこと、自分で生涯いちども思ったことないから…
いろいろと口では言っても、そんなこと信じたことないから、
自分の心、自分の口からこんな言葉が出てきて、すごくびっくりしました。
私は、いっつも(自分はダメな人間だ)と思っていて、
将来もたいして良いことないのだから、とにかく今を必死に生きよう、期待せずに。て思っていました。
でも、この瞬間から、自分が自分の意志で『信じること』に気がついた――という感じがあって、
ものすごい感動!がありました。

Q [修道女の自分] と対面してください。

私の目の前に、[修道女の私]が 立っています。
すごく、にこにこ笑って、とてもうれしそうに 私を見ています。
この子は、生きているときは、灰色とか白とか黒の修道服を着ていましたが、
今の[修道女の私]は、西洋画の聖母マリヤの着ている青色みたいに、
ものすごく綺麗な青い色の修道服を着ています。ほんとうに綺麗な服です……。
胸には、ダイヤのロザリオをつけています。
これは お父さんのプレゼントしてくれたロザリオで、
[修道女の私]は、死んだ後、魂だけになっても、このロザリオをずっと身に付けていたんです
ほんとうにお父さんとお母さんが大好きだったんだなー……

Q [修道女の自分] からの声を聞いて・・・・・・・・・

[修道女の私] は、こう言っています……

「今の自分に言いたいことは、さっき、あなたが自分で気付いたこと、 
『あきらめるべきことは、あきらめること』
『努力 すること』
『信じること』
それが、全て。

今の自分は、[修道女の私]が見つけられなかったことを、いっぱい見つけている。
だから[修道女の私]は、もう、さみしくない。
[修道女の私]は、今の自分を、とても好き。とっても良いと、思っている。
今の自分へ。今日は、会いに来てくれて、ありがとう」

そう言ってニッコリ笑った[修道女の私]は、すごく綺麗な女の子でした。
細面で、みどりと灰色のとけたような色の瞳で、カールのかかった銀髪。
気がよわそうだけど、すごい綺麗な女の子でした。
今もこんなだったらよいのにぃ。

Q あなたから、[修道女の自分]に・・・・・・・・・・

「あなたができなかったことは、私が全部やる! だから、これから、ずっと一緒にいてね」
と約束しました。

この子とすごく離れがたくて、私は[修道女の私]を抱きしめました。
こんなふうに…恋人とか友達とか家族というのとはチガウ、
こうも、ひとりの人間を愛おしいと思ったことは初めてで、
私も、[修道女の私]も、愛情でいっぱい…!

すると、[修道女の私]の体がゆっくりと光にとけて、私の体の中に入ってきました。
それから彼女はこう言いました。
「悲しいことは、すべて終わり」

そう言われて私、すごい嬉しくなりました……
この子がほんとうに可哀相で悲しかったから、悲しみが全部終わったと聞いて、ほんと嬉しくなりました。

そして彼女はすっかり私の中におさまって、
「『信じること』を、一緒に体験したい」 と、私にお願いしました。

(あったりまえだろー! ずっと一緒だよ〜!) …と思いました。
なんか、ものすごく、満ち足りた気分です。

すると、すごく綺麗なイメージが目の前いっぱいにひろがりました。
空に、お父さんのロザリオが浮いていて、
その十字架から、うつくしいオレンジ色の光が、
シャワーみたいに、しだれ桜とか柳みたいに、
しんしんと、やわらかく、ひっきりなしに、たっぷりと、光が、ふってきました。
ものすごくすばらしく綺麗な光景です。

Q ではその光を、満足するまで浴びて下さい。

と言われたので、思う存分、光をうけとめてました。
すると 胸の中の[修道女の私]が、
「信じなくてごめんなさい。死んでからわかったけど神さまっていたよー」
と言いました。

私は、キリスト教についてはヨーロッパ美術史について勉強したくらいの知識しかないし
ぜんぜん信仰する気とかゼロなので、
こんな映像が見えて、正直ものすごいビビったんですけど、
光を見ているうちに、
「神さまは、いるねー」と思いました。

といっても、キリストの神さまでなく、仏教やイスラム教など、そういう宗教でもなくて、
そういうものの全ての根っこというか、共通したものというか、すべてを包み込むというか、
世界には、この世というものには、すごくすごく巨大な「愛」がある、と……
ものすごく、ゆったりした気持ちで思いました。
すべては愛だ〜〜と 思いましたよ、この時ほんとに。
愛がすべて。そんなこと、思ったことなかったので、ちょっとびっくりしつつも、ごく自然にうけとめてました。

光がおわって、風景がかわりました。
黄色いコスモスみたいな きれいな花のいっぱい咲いている花園があらわれました。
すごーく、きれいで静かなところです。
これが天国ってやつなのかな〜?と考えていると、
花園のかげに、[修道女の私]が おだやかに光をあびつつ、座っているのが見えました。

(あーこれは私の心の中なんだ、
私の心の中に、とっても綺麗な場所ができあがって、この子が住みついてくれたんだ……)
と、わかりました。

――ここで 今日のイメージがおわりになり、
セラピストさんが「では5つ数えたら、すっきり目覚めます」とかるく指示して、
セッション終了となりました。



=感想=

私は、昨年の3月ごろ鬱病だったんで、
墜落死した時の女の子の すごく不安定なノイローゼの心情に ものすごく共感できました、
アレは、注意力とか判断力とか、正常な精神では無くなります本当に…窓から簡単に落ちるはず!
ノイローゼ・鬱病とは、すごく恐ろしい病気なのだ…! と、しみじみ思いました。
下手したら私も去年、つまんない事故とかでケガしたり、死ぬ可能性もあった!
そう思うと、ぞーっとしました。
今、生きてて良かったな〜!! いのちは大切にしないとなー!! としみじみ思いました。

両親をすごく大切にしようと思いました。
親の愛がどんなにかけがえのないものか、
どれだけの大きなものを親から与えられていたのか、すごく考えさせられました。

そして自分のことにも増して、図書館とか、本の喜びのイメージが ものすごく強かったですよ。
読書には、よろこびがあるんだ〜。

こうして 2回目のセッションが終わったんですが、
つくづく、ほんとに、自分が自分に
『自分は頑張れるのだと、信じること』
『将来には希望があると、信じること』
と 確信したことが、ものすごく嬉しい というかビックリしました。

でも、こういうすばらしい気付きというか ひらめきがあっても、
自分がとつぜん劇的に変身するわけでもなく、
なんというか、気がつくのも自分だし、
そこからどのように進むか、どうやって生きるか、
それらを行動するのも全部ぜんぶ自分ひとりのことだ、と、強く思いました。
セラピーを受けて、たしかに私の心の中には 変化したものがあります、
だからって、いきなり180度 生活や自分が変わることはなくって、
再スタート地点に今、立った。という感じです。
これから努力するのも手を抜くのも ぜんぶ自分ひとつなんだなーと。

安易に「解答」とかを提示されず、けっきょくは自分だ。という結末がすごく良い!
「催眠療法」を受けて、すごく良かった〜!! と思いました。

イメージの中で、十字架と光のシャワーが見えた時は、
「やっべー!こんなの見ちゃって、私、宗教とか目覚めるのかオイ?」と、変な方向にビビったのですが、
その後べつだん宗教には全然興味わかないので、
修道女みたいな自分が出てはきたけど、今の私は、今のまんまだなーと。
劇的な体験はしたけど、でも自分の基本はぜんぜん劇的に変わってはいない。そのまんま。
というのが、自分のスタンスにぴったりな感じです。

あの修道女の女の子のことは、私は一生わすれないと思います。
つくづく、あれは私でした…
前世だか たんなる夢か わからないけど、あれは、ほんとに私でした。

人間に前世があるのか、とか、生まれ変わりがあるのか、とか、そうゆうの全部どうでもいいです。
ようするに いまの自分にとって 見るべきものが見えた、それだけで、
前世うんぬん、理由を求めることなどは、ぜんぶ不要で
あのイメージから伝わってきた 楽しい嬉しいという感情、それだけを素直に受け取って、
ただ前をまっすぐ見る、それだけでいいやーと思います。

これからの人生、自分がどう変わってゆくか、まっすぐ歩けるのか、わからないけど、
でも、信じることを いつまでも続けて、がんばってゆこうと、
気負いなく、すごくさらりと、今は思うことができます。

『自分は頑張れるのだと、信じること』
『将来には希望があると、信じること』
『読書にはよろこびがあると、常に信じていること』
『この世には、いいことが沢山あると、信じること』
この4つを信じて がんばります。

(第2回おわり)