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目次
●子供のころの私
●催眠療法・前世療法(ヒプノセラピー)って三日で習えるの?

あ〜やっぱり


 子供の頃の私
 
ヒプノチックな話のコーナーで「私の過去世」をお読みになってくださった方は、私が子供の頃からしっかりとした賢い子だったように勘違いされるかもしれません。しかし、私は子供の頃 かなり変わった子でした。見た目には相当お馬鹿さんだったに違いありません。

 何故なら、何を考えているかわからない子だったからです。大人しく、主張が無く、欲求も少ない。ボーっとしているし、何をやっても遅い。忘れ物はクラスでダントツ一番!奇怪な行動もしばしば。私は何故か自分の思いや考えを表現することを極端にしなかったのです。人一倍、頭の中ではいろいろと考えていたのにです。


 私が中学生になった頃のある日、卒業した幼稚園に行く機会がありました。叔母に頼まれて年の離れた従兄弟を迎えに行ったのでした。すると、園庭にいらしたある先生が私を呼び止め「もしかして・・・・KEIKOちゃん??」と私に尋ねました。私はその先生にかすかに覚えがあり、にこやかに「ハイ」と答えました。するとまた「あのKEIKIOちゃん?あのKEIKOちゃんよね?」と畳み掛けるように聞くのです。『あの』という意味がよくわかりませんが、覚えていてくださった事に嬉しくなり 「はい」と答えると、その先生は園舎に向かって「○○先生!○○先生〜!来てくださーーーい!」と言いながら走って行ってしまったので
す。



 
あっけに取られたのは私です。何が起きたのかわからない。

すると間もなく、先程の先生が2〜3人の先生を連れて戻ってきたのです。「この子!この子があのKEIKOちゃんですよ!!」と言うではありませんか。やはりお世話になった先生と副園長先生の顔がありました。それから矢継ぎ早にいろいろと聞かれました。あれからどうしたの?今何してるの?毎日どう?学校は楽しいの?等々・・・

どれほど私が先生方にご心配をおかけしていたかが、これでよ〜くわかりました。両親にいろいろと聞かされてはいましたが、やはり私はかなりの有名人だったんだと確信。きっと、卒園以降も長い間の語り草だったのでしょう。


 一体、どんな子だったのかというと・・・。後に両親から聞いた話や自分の記憶も含めてお話してみます。
(きっと、勇気付けられる方がたくさんいるのではないでしょうか。)

その1:

教室の入り口近くの席なのに、「さようなら」をして出てくるのはいつも最後だったそうです(自分なりにその理由があるのですが・・・)。幼稚園のお弁当も、小学生になってからの給食もあきれるほど遅く、休み時間になっても構わず食べている。下手をすると、掃除の時間まで机に向かって一人で食べている始末。要するに何をするのも遅い子供でした。私は食事に対しての欲求が極端に少なく、それを心配した母は一日4回の食事を与えていました。朝食・昼食(お弁当や給食など)・夕方食・夕食といったふううに。それが私にはとても苦痛でした。何故って、食べたくないのに食事の時間が巡ってくるんです。一日に4回も。私が他の家では一日三食なのだと知ったのは小学4年生の頃だったと記憶しています。

その2:
幼稚園での運動会のこと。障害物競走でパン!というピストルの音と共に一目散に駆け出す私。タイヤをくぐり、縄跳びを飛んで、平均台を渡って真ん中あたりまではダントツトップ! 父兄席からの掛け声も大盛り上がりの最中、私の動きはここでストップするのです・・・・・・。

何をどう思ったのかは記憶にありません。真ん中でピタッと止まった私は、クルリと後ろを振り返り、後から追い掛けてくる4〜5人の競争相手の動作をジッと観察。一人二人と私を追い抜いて行き、最後の一人がゴールするのを見届け、それでも依然としてコースの真ん中に真顔で立ち尽くすのでした。客席は爆笑の渦。両親の心境はいかばかりだったことでしょう。こんな事が何度もあったとか・・・・・。


その3:
ある時、私の席は先生の教壇のまん前でした。その教壇で先生が紙芝居を読んでくださいました。私はもっとも近い、かぶりつきの席ということになります。話の途中まではシッカリ紙芝居に凝視。でも、それからがイケマセン。私はクルッと後ろに向き直り、紙芝居に夢中になっているクラスメイトの顔をしげしげと観察し始めるのでした。

またある時、園に一つしかない滑り台の順番待ちで並んでいます。一人、二人、と滑って列は前に進みます。私も進みます。しかし、あるところで急に進むのをやめるのです。私の前はどんどんあいていきます。でも私は前には進みません。ジッと滑り台をすべる人を観察し始めるのです。滑り終わった子は、次々と私の前に入って並びます。可哀想なのは私の後ろに並んでいる正直者の子達ですよね。いつまでも滑れないわけです。あ〜、ゴメンナサイ。


その4:
昔は父親参観日というものがありました。今はあるのかな??
幼稚園での父親参観日。園児にお父さんの絵を描かせ、その画用紙に紐をつけて自分の父親の首にかけてあげる、というお絵かきの授業でした。クレヨンを持つ手も小さくて可愛らしい♪園児たちが、拙いながらも一生懸命にお父さんの絵を描いている。その机の間を微笑みながら歩く先生。その先生の目が一人の生徒の絵に釘付けになり立ち止まりました。私の絵です。
丸を三つ並べ、その三つを貫く一本の線。それだけ。

  先生「KEIKOちゃん、これは・・何?」
  私「だんご♪」
  先生「どうして だんごを描いたの??」
  私「食べたかったから」

やんちゃなお子さんならともかく、大人しい私がこんなことをやらかすのです。可哀想なのは父です。その日、父はだんごの画用紙を首からぶら下げました。お父さん、ゴメンナサイ。
絵に関しては、自分でもしっかりとした記憶のあるもので、こんなことも。



お絵かきの時間。その日の絵は廊下に張り出される予定になっていました。だから頑張りましょうね、と先生からのお話もあったと思います。授業参観の前か何かだったのでしょう。きっとその準備だったのですね。みんな頑張って描いていたと思います。でも私はどうしても、どうしても1センチほどの赤い
が描きたかったのです。小梅ほどの赤い1個だけ。B3の大きな画用紙のど真ん中にです。もちろん、そのままクラス全員の絵が廊下に貼り出されました。その光景は私の記憶にちゃんと残っています。何を考えていたんでしょう?残念ながらそれは忘れてしまいました。


と、こんな私でしたから、両親はもちろん、先生方にも随分ご心配をお掛けした事と思います。
そしてある時、幼稚園では一斉に知能テストをしたのです。(むかしは小学校でも1,2年生にの時に学年一斉に知能テストをした記憶があります)
しばらくして、担任の先生からお電話があり、母は園に呼び出されました。母はとても重苦しい気持ちで行ったそうです。ところが意外や意外!知能テストの結果、私のIQが他のお子さん方よりも若干良かったのだそうです。あまりにも驚いた先生が「すぐに来てください!」と母を呼び出し「安心してください。これを見て!」と知能テストの結果を差し出したのだとか。母が涙を流して安堵したかどうかは定かではありません。

そんな事で母が呼び出されるなんて。私はどれほどオカシナ子と思われていたか、それがよ〜くわかるエピソードです。


その4:
小学生になった私は、やはり、おかしな子でした。
今でも記憶に残っています。低学年のある時、度々私は授業中に担任の先生から「これを○年○組の○○先生に届けてきてね」と頼まれるのです。 そう、授業中にです。 そんなことを頼まれる子は他にはいません。私は言われたとおり、そのクラスにその物を届けます。でも、心では思っていたのです。これは私を試しているのだな。あとで、その先生に 「KEIKOちゃんはどうだった?」 と聞くのだな、と。それほど私はオカシナ子なのだな、と。 そうわかっていつつ、何もわからないフリをして届けるのです。
それほど私は傍目から見て、不可思議な子だったのでしょうね。本当にご心配をおかけした事と思います。
                                                        
そんな私は、実は色んな事が煩わしいほどわかる子でした。自分でも嫌になるぐらい。
物心ついたころから、いつも思っていました。大人はどうして 『子供は何もわからない』 『子供だからどうせわからない』 と思っているのか。 大人の人だって小さい頃はわかっていたでしょう?大人と同じように何でも感じ理解していたでしょう? なのに、何故それを忘れてしまうの?私も大人になると忘れてしまうの?
大人が人によって顔色を変えたり、嘘をついたり・・・・それをそばで見ている子供を、子供だからどうせわからない、と思っている。 わからないと思っているのだから、わかっていると知られてはならないのだ。 わからないフリを演じなければならない。そう思っていました。

そんな私は小学校を卒業した春休みに、大きく変貌するのでした・・・・。

今まさに子育て中のお母様。注意しましょう♪ お子さんは意外とよくわかっているかもしれませんよ。





 ヒプノセラピー(催眠療法・前世療法)って三日で習えるの?? H21.5.

先日ある席で名刺交換をさせていただくと、その相手の方がこうおっしゃいました。「私も以前ヒプノセラピー(催眠療法)を習いましたよ〜。あれって、マニュアルをそのまま読めば、誰でもできるんですよね(^^)☆」 と。

とても恐ろしく、そして悲しくなりました。 マニュアルを手にすれば、誰でもできる・・・?
マニュアルとは、セッションの最初から終わりまでの誘導文が書いてある用紙のことです。たとえば、『幼児期退行』の用紙A4サイズ一枚。『インナーチャイルド』の用紙一枚・・・というように。

 本当にマニュアルだけでヒプノセラピー(催眠療法・前世療法)ができるのでしょうか? 答えはNO!です。


ヒプノの状態、すなわち 《催眠状態》 には導けるでしょう。 ですが、私たちヒプノセラピストがクライアント様にさせていただいているのは、セラピーなのです。 《催眠状態》 に導くだけでは、セラピー 、すなわち 《催眠療法・ヒプノセラピー》 にはなりません。

マニュアルどおりの反応を示してくださるクライアント様がいるでしょうか? いません。 マニュアルで 「何とかなる」 反応を示してくださるクライアント様はいらっしゃるでしょう。 でも、 「何とかなった」でいいのでしょうか。 人様をセラピーに導けるようになるには、それなりの深い理論の理解と、熟練が必要なのです。 ヒプノセラピー(催眠療法)がいったい何をしようとしているのか、その目的のためにどんなテクニックを駆使するのかを知らずして、セラピーには成り得ないのです。

実は、先ほどのように 「すぐにできるんですよね〜」 「3日で習いました」 「私は五日」 「マニュアルさえあれば・・・」 的な言葉を聞くことは珍しくなく、その度に驚きを隠せません。 ヒプノセラピーの本場、アメリカではどれくらいかけて習うかご存知でしょうか?


そういう私も最初にヒプノセラピー(催眠療法)を習ったのは、初級3日間のコースでした。それが終わったときの感想は「これでお終り?これで仕事にしてしまったら怖い・・」でした。そして実際に人様にさせたいただくことは考えず、自分にさえ自己催眠をかけることが躊躇われました。

私が実際にヒプノセラピーを体験したのは、それから何年後だったでしょうか。今から12〜13年ほど前、今西まゆみ先生のところでヒプノセラピー初体験。3回〜4回通ううちに、ヒプノセラピーの素晴らしさを実感したのです。

今西先生は松本東洋先生のお弟子さんですが、松本先生から学ばれた知識と、尽きない探究心と、持って生まれた抜群のセンス(私はこれがセラピストにとっての生命線だと思っています)をお持ちの、それはそれは素晴らしい方です。

この時の体験がきっかけになり、今西先生に門脇典子先生をご紹介いただいてヒプノセラピー(催眠療法)を学びなおす事にしたのです。門脇先生にはとても詳しく、じっくりと教えていただきました。 また、今西先生にもスキルアップのための勉強会で教えていただいたり、つまづいて意気消沈する度に引き上げていただいたりしたのです。

そしてさらに、開業して実際にセラピーをさせていただくと、心理学を学ぶ必要性を痛切に感じ、心理学講座に通うようになるのです。 心理学教室の初級・上級・研究コースと勉強を進めていくと・・・なんと!ヒプノセラピー(催眠療法)の手法が今更ながら わかり出したのです。。

「セッション中にクライアント様をこの状態に導くのはこの目的だったのか!」

「とすると、この部分は長く、ここは短くするべきだ」

「○○のようなタイプのクライアント様には、このようにも出来るはず」

「なるほど、セッション中の登場人物は,これを意味していたのか・・・・」

「セッション中にクライアント様の中で起きていることがを意味するものは・・・!」

「すべてのセッションで目指すものはこれだ」

「より多くの結果をお持ち帰りいただくために必要なテクニックは・・・」  等々。ヒプノセラピーのマニュアルにはなかったことが、理論的にわかりだしたのです。


心理学講座や交流分析の勉強を通して、人の記憶について・性格形成について・子供のころの家庭内での役割・セラピストとしての心構え・姿勢・決してしてはならないこと・カウンセリングの手法・など様々なことを学ぶこととなり、そこで学んだことは、その後のセラピストとしての私に大きな影響を与えました。

考えてみれば当然のことです。何故ならば、催眠療法の大家は、みんな心理学者か精神科のお医者様。 要するに、ヒプノセラピー・催眠療法はしっかりとした心理学的理論や医学的知識を持つ先人達が研究に研究を重ねて築き上げたものなのです。私は、ヒプノセラピストになるという事がいかに知識と熟練が必要か、思い知ることになりました。

それ以降も、いろんな方にヒプノセラピー(催眠療法)について学び、ヒーリングやスピリチュアルについて学び、今現在にいたっています。ヒプノセラピー(催眠療法・前世療法)は、何を学んでもそれをセッションに取り込めるところが素晴らしい! 私はヒプノセラピーに絶大なる期待と信頼をおいています。
                                                      




あ〜やっぱり大好き  H21.7.

あ〜やっぱり省吾が好き。どうしたって好きなんですね〜。
先日(6月)省吾さんのコンサートに行ってきました。大学生の頃からのFanですから、もう何度ライブにいったか記憶にもありません。日本各地を省吾さんのライブを求めていろいろ行っています。ある時など、ワシントンD.C.から東京のチケットを取ったこともあるくらいです。


なんて話をするとfan以外の方は「え?まだ活動してたの?」なんて言われるかもしれません。ほとんどメディアに登場しませんからね。ところがドッコイ、省吾さんの作品(CD,DVD等)は発表される度にオリコンランキング上位に入り、かなり売れているんです。ライブツアーのチケットも、ホールであろうとアリーナであろうとアッと言う間に完売。省吾さんは業界の方に人気が高いとも耳にします。福山雅治さん、ミスチルの桜井さん、加藤晴彦さん・・・・有名なお笑い芸人の方の中にも私の知る限り省吾Fanの方が数人いるし。前回の代々木の会場では奥田民生さんをお見掛けしました。わぉ〜。

ミュージシャンとしても素晴らしいし、人間的にも素晴らしいと感じるFanは多く、いろんな場面で「あ〜、やっぱり省吾って好きだ!」と思わされます。

1999年の昭和記念公園での真夏の野外ライブのこと。野外会場を Dancing Zone 、Picnick Zone とに分けていました。混み合っていてもガンガンにノッテに楽しみたいZone、シートを敷いて持ってきたビールやおつまみでも食べながら楽しみたいZoneです。なんでも野外を計画するに当たり、省吾さん自らが「全面が芝生の会場で大事な人とゆったりと過ごしてほしい」との要望を出し、詰め込めば5万人は見込める会場に3万人ぐらいしかチケットを用意しなかったのだとか。お子さん連れのFamily向けに遊具まで用意され、ゆっくりと楽しんでいる姿は微笑ましいものでした。
この時はDancing Zone は1時間ほどで完売だったと記憶しています。私はDancing Zoneが取れず、Picnick Zone チケットを必死で手に入れました。友人と一緒にシートを敷いて省吾さんの歌を聞きながら見た夕日は、とてもいい思い出です。最近ではこのようなライブをしているアーティストはいるのかな?でも、あの頃はとても珍しかったと思います。


さらに驚きなのは、雨天のため1日延期したこと!!! 
そんな事は業界ではほぼない事なのだそうです。だって、1日延期するだけで莫大な経費が飛んでいきますから。利益優先のビジネスに徹するなら、出来るだけの観客を詰め込み雨天決行にするべきなのです。しかし省吾さんは、観客優先で雨天順延をしても損失を出さずに成功を収めるという事実を業界に示したかったのだと、音楽雑誌で読んだことがあります。(実際に私はその後、嵐の野外ライブを経験。傘禁止。カッパを着ていても下着までずぶ濡れ!それはそれでいい思い出ですが、帰りの電車は辛かった・・・。)

省吾さんはいつも私たちオーディエンスを第一に考えてくれている、そしてスタッフを大事にしている。そんな誠実さや優しさがライブの随所に感じられ、また一流のステージを見せてくれるアーティストなのです。

省吾さんはそんな事もテレビや週刊誌で殊更に取り上げられる事もなく、にもかかわらず、私たちFanにはこよなく愛される方です。売れていないからテレビに出れないのではなく、テレビ等のマスメディアを使うことなく売れている。
省吾さんは、業界に縛られる事を極力避け、ご自身の作品を大切にし、また私生活を芸能界に売って犠牲にすることなく成功した、とても稀有な存在かもしれません。(表現に問題があったらゴメンナサイ)

20年もの歳月、省吾さんのライブに通いつめるうちに、いつの頃からか会場に募金箱が置かれている事に気付きました。気付いた当初は募金箱にお金を入れるのがちょっと照れくさくて、なんとなく素通りしていましたが、そのうち会場に足を運ぶ毎に心ばかりの募金をするようになりました。
先日のファンクラブ会員限定のライブでも、ほんの少し募金してきました。今回は事前に「Tシャツを寄付してください」とのFanクラブ会員向けのメールでのお知らせがありましたので、タンスの中にしまわれたままの数枚を持参しました。
その時、スタッフの方から資料を手渡されたのです。そこには10年間の支援実績が、現地の写真付で報告されていました。
なんと、支援額の総合計は82,488,420円。何度も桁を数えてしまったぐらいです。

一人ひとりの小さな思いが、こんなにも大きなものになるんだ!と驚きと感動を覚えました。

気持ちがあっても、機会がなければ何となく時が過ぎてしまいがちですよね。私なんていつもそうです。テレビや新聞で貧困や災害の情報を知っても、忙しい日常の中で自発的に行動を起こす事はなかなか難しい・・・。だからこそ、このように信頼できる募金箱があると嬉しいのです。

でも、本当は自発的に動かなきゃいけませんね。
ちょっとでいいから、誰かのお役て立たせていただけること、ありますものね。
行動できる人になろう!! と自分に語りかけてみます。